近代産業の発展

近代産業の発展

繊維系商社、関西五綿の誕生

伊藤忠商事、丸紅、トーメン、ニチメン(現双日)、兼松は関西五綿と呼ばれる。

関西五綿は、それぞれ江戸時代中・末期頃の繊維問屋がルーツである。

輸出で基盤をつくる繊維系商社

日本は1880年代、政府の指導と外国技術の導入により、綿紡績・製紙業の機械生産に成功して産業革命が実現する。しかし、国内需要は小さく、海外市場の開拓が不可欠だった。そのため、繊維系商社は原料である綿花の輸入とともに、綿糸・綿布の輸出に力を入れた。

繊維系商社は、そのほとんどが江戸時代の中・末期頃の繊維問屋がルーツで、日本の紡績産業の発展に伴って成長してきた。商社は財閥系と非財閥系に大別されるが、非財閥系はおおむね関西の繊維商社が占める。そして、これらの中でも伊藤忠商事・丸紅・トーメン(現豊田通商)・ニチメン(現双日)・江商(現兼松)は関西五綿と呼ばれ、商売に長けた関西人ならではの商才を発揮し、時流に乗って規模を拡大していった。

伊藤忠商事と丸紅の起源は同じ伊藤忠と丸紅の起源はともに1858年、創始者である初代伊藤忠兵衛が近江麻布の持ち帰り商をしていた頃に遡る。忠兵衛は近江の生まれで、実家は農耕のかたわら麻・紅木綿などを商っていた。

忠兵衛が十五歳の時、伊藤家が長男の長兵衛に引き継がれたのを機に大阪へ出て、近江麻布の行商を始めた。その後、忠兵衛は販路を広げて商売を伸ばし、1872(明治5)年に大阪本町に呉服太物商紅忠(ベんちゅうこを開店、「積極・機敏・合理」の経営で繊維商社として事業を拡げていった。

1883(明治16)年、忠兵衛は郷里の実家が丸紅(まるべん)と呼ばれていたのにあやかって、店の暖簾を丸に「紅」と印し、それが丸紅の社名の由来となった。

翌年の1884年には紅忠を「伊藤本店」と改名し、京都に染呉服卸問屋の伊藤京店を開設した。続いて大阪にラシャ輸入却商の伊藤西店、綿糸卸商の伊藤糸店、神戸支店と次々に開設し、1914(大正3)年、伊藤忠合名会社を創立して、それまでの個人経営から会社組織への脱皮を果たす。

そして、1918(大正7)年に営業部門が2つに分かれ、本店と京屈などから成る伊藤忠商店、糸店や神戸店、海外店から成る伊藤忠商事が設立された。これらが現在の丸紅、伊藤忠商事の前身である。

しかし、第一次世界大戦後の不況から2杜とも事業の縮小を余儀なくされ、伊藤忠商事は貿易部門と海外店を分離・独立させて大同貿易を設立、伊藤忠商店は立ちいかなくなった本家の伊藤長兵衛商店と合併して丸紅商店となり、難局を乗り切っている。

その後、業績が回復するにつれて伊藤家の事業を統一しようという動きが強まり、1941(昭和16)年に三興、1944年に大建産業と変遷する。しかし、第二次大戦後の1949(昭和24)年、GHQ指令の過度経済力集中排除法によって分割され、現在の伊藤忠商事、丸紅となって再発足した。

トーメン、ニチメン、兼松の総合化

トーメンは1920(大正9)年、三井物産の棉花部が独立して誕生する。明治から大正にかけて、三井物産は当時の基幹産業であった綿業において、日本全体の綿花輸入の20~30%を占めるなど支配的な地位にあった。

また社内でも、棉花部の取扱額が三井物産全体の総取扱額の三割を超すなど主力となっていた。

しかし、変動の激しい綿花相場は常にリスクを伴うことや、莫大な利益をあげても部員の待遇が規定によって制限されることなどが問題となり、そうした事情から、当時の棉花部長であった児玉一造が中心となり、業務を継承する形で東洋棉花が創立された。

その後、東洋棉花は関西五綿の有力な一社として業績を拡大し、戦前の日本の貿易において三井、三菱に次ぐ第三位の商社の地位を占めるほどまで成長した。

ニチメンの前身は1892(明治25)年に設立された日本綿花だが、発起人には当時四大紡績と言われた摂津、平野、尼崎、天満の各社が名を連ねている。近代産業の進展を背景に、綿紡績に不可欠な原綿の需要は飛躍的に増したが、神戸の外国商館などに依存しなければならない状態だったため、十分に需要を満たすことができなかった。そこで、日本人の手で安価に、かつ円滑に綿花を輸入するためのパイオニア機関として設立された。

日本綿花は綿花専門商社として取引を拡大し、1903(明治36)年には英国に中国産綿花を輸出する三国間貿易を実現、その後も羊毛を扱うなど業容を広げ、戦後、金属や機械を取り扱って総合化していく。その後、1943年に日綿実業、1982年にニチメンに商号変更し、2003(平成15)年に日商岩井と統合して双日となった。

江商は1905(明治38)年、紡績業(生産)と綿花輸入業(商事)の両分野を事業の柱として設立されたが、ほどなく生産部門からは撤退した。一方、1968(昭和43)年に江商と合併することになる兼松は、188

9(明治22)年、豪州産羊毛の輸入商として活躍した。両社は合併後、兼松江商、兼松と変還を辿りながら総合商社として一時代を築いたが、現在、専門商社となっている。

    Copyright(C) 事情通になるための商社の歴史 All Rights Reserved.