バブル経済と商社

バブル経済と商社

金余り、円高をうけて証券運用や海外直接投資が急増

円高と原油安が、エネルギーに強い商社に打撃を与えた。

商社の金融機能が、ビジネスそのものとして強化され、余剰資金が投資に振り向けられた。

プラザ合意と日銀の金融緩和策

1980年代前半、日本の産業構造はハイテク化を遂げ、エレクトロニクス関連製品などの輸出が急増し、国際収支は黒字体質へ転換した。だが、第二次オイルショック後の不況とインフレに悩む欧米先進諸国との間で、貿易摩擦を引き起こしてしまう。特に米国は、輸出拡大を推進するため輸入代金の決済等に必要な外貨取引しか認めない日本に対して外貨取引の自由化を強く要請し、1984年、日本はこれを受け入れることになった。翌年9月、ニューヨークのプラザホテルで

聞かれたG5(先進五カ国蔵相会議)では、実態に見合わないドル高を是正するため、各国が協調して介入することになった。

この「プラザ合意」により、ドルが急落して円高になると、日本の資本市場には余剰資金があふれ、過剰流動性が発生する。しかし、電機や鉄鋼などの輸出業績が悪化して「円高不況」になったため、日本銀行は公定歩合を漸次引き下げて、超低金利による金融緩和策をとった。

バブル経済下における高社の動向

これが企業などの余剰資金を株や土地に向かわせる投機熱の引き金となり、1986年の景気底入れ以降、日本はバブル経済時代に突入する。

バブル期における総合商社の動向としては、①総合商社の売上高順位の変動、②売上高競争からの脱却、③金融ビジネスの展開――などが注目される。

① については、プラザ合意後の急激な円高と原油価格の暴落で、ェ、ネルギー部門の強い商社が打撃を受けた。特に三菱商事は、1969年から着手したブルネイのLNG(液化天然ガス)開発事業が、オイルショックによるLNG価格の高騰もあって、長期にわたり巨額の利益をもたらしていた。そのため、商社業界で長くトップを堅守していたが、先の事情で5位に急落し、代わって前年3位の伊藤忠商事が首位に躍り出た。

② については、1988年以降、各商社で金のディーリングが急増したことにより、名事情通になるための商社の歴史目上の売上が極端に増えてしまい、総合商社における売上高の意味を再検討する契機となった。特に三菱商事では、業界トップからの転落を機に高収益体質に変わろうという意識が顕著になり、1986年秋に利益重視の経営方針を盛り込んだKプランを発表する。

③ については、商社にはもともと通常の業務に付随する形で金融機能があるが、バブル期に金融そのものがビジネスとして強化されていった。特に特金・ファントラによる証券運用や海外への直接投資が頻繁に行なわれた。

このほか、各商社ではアジアなど将来性のある経済闇での活動をこの時期に深化させたほか、製造拠点の海外シフト、ODA事業への取り組みにも注力していく。また、国内においては衛星通信ビジネスに乗り出すなど、内需拡大を目指してさまざまな領域に進出していった。

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