高度経済成長と商社

高度経済成長と商社

日本の急速な重化学工業化に重要な役割を果たす

最新の機械・技術を仲介・斡旋し、-重厚長大型製造業の発展に寄与。

生産拠点を海外に移す軽工業では、ターン・キー方式によるプラント輸出の橋渡し役を務める。

機械・技術の導入で戦前の水準に

戦後、壊滅状態に瀕した日本経済も1955年には戦前の水準に回復、「10年間で所得を2倍にする」という池田内閣の所得倍増論のもと新たな飛躍の時期を迎える。1950年代後半から1970年代初めにかけて、日本は年平均10%という世界的にも類のない高度経済成長期に突入し、1968年には世界第2位のGNPを達成した。日本経済がこのように急速に成長した背景には、輸入技術に基づく活発な設備投資の拡大や大衆消費社会の実現がある。

戦中・戦後の停滞による日本の技術水準の立ち後れは甚だしく、製造業は最新鋭の設備機械の輸入や革新的技術の導入に血眼になっていた。商社はこれらのニーズに対応し、機械輸入・技術導入の仲介や斡旋で大きな役割を果たす。各商社は海外有力メーカーの日本における販売総代理店権の獲得に注力し、同時に海外情報の収集能力強化のため海外支店などの拡大・充実に努力した。

また、技術移転写門セクションが各社で設置され、機械の輸入からファイナンス、技術導入の交渉、契約の段取りに至るまでさまざまなサービスが提供されるようになった。こうした一連の動きが、商社の強みとなる広範な海外ネットワークの構築や商社機能の拡充につながっていった。

製造業をはじめとする民間企業の活発な設備投資は、日本経済の急速な重化学工業化を促し、産業構造に変化をもたらした。また、輸出品も長らくトップの座を占めてきた繊維などの軽工業品から、鉄鋼、機械、化学品など重化学品に重点が移った。特に、最新の設備により量産体制を整えた鉄鋼は国際的な競争力を発揚して、この時期に各商社の花形部門となった。

一方、脱繊維の流れで衰退しつつあった軽工業は、労賃の安い東欧、中南米、東南アジアなど生産拠点が開発途上国に移った。その流れを受けて商社は工場設備一式を輸出し、現地での施設建設工事までを請け負うターン・キー方式によるプラント輸出に乗り出すなど、繊維産業などの海外技術移転の橋渡し役事情通になるための商社の歴史としても活躍した。

資源問題で開発輸入のまとめ役に

しかし、重化学工業化の進展で鉄鉱石・石炭などの輸入が拡大すると、日本は資源問題という新たな課題に直面する。戦後の復興期において買い手市場だった資源は、高度成長による日本の輸入量の急増や資源保有国での資源ナショナリズムの台頭で、次第に売り手市場へと移行していった。

そこで、資源の長期的・安定的確保を重視した開発輸入が行なわれるようになる。開発輸入には資源保有国に融資する多額の開発資金や数年の期間を要すため、資金調達・リスク分散を目的に複数の企業が参加するケースが一般化し、商社はその際、まとめ役となって資源開発を推進した。後に「オーガナイザー機能」と呼ばれる商社機能は、これにより生まれたのである。

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