商社を襲ったスキャンダル

商社を襲ったスキャンダル

1970年代、商社がらみの重大事件が続発

オイルショックの1970年代、商社がらみの重大事件が続発した。

ロッキード事件や安宅産業の崩壊、ーJPC問題などを機会に、リスクに対する意識が高まる。

商社を窮地に追い込んだ重大事件

1973年のオイルショック後、多くの企業が、それまで広げ続けてきた事業領域を見直したり、設備投資を手控えたり、雇用調整を進めたりしたため、物価の上昇は抑制された。しかし、市況低落、実需の減少などにより各企業の収益は落ち込み、翌1974年に戦後初めてマイナス成長を記録した。高度経済成長が終駕し、低成長へと一転した厳しい経営環境下に入った均年代後半に、ロッキード事件や安宅産業の崩壊、IJPC問題など商社がらみの重大事件が頻発した。

ロッキード事件

1976年、米国上院の多国籍企業小委員会公聴会で、大手航空機製造会社のロッキード社が全日空をはじめとする世界各国の航空会社に同社旅客機を売り込む際、多額の賄賂を各国の政府関係者にばらまいていたことが明らかになった。この賄賂が、ロッキード社の日本代理屈である丸紅を通じ、当時の田中角栄前内閣総理大臣に渡されたという証言により、丸紅は窮地に追い込まれた。

安宅産業の崩壊

1972年8月、安宅産業の米国法人安宅アメリカが1500万ドルの融資を条件に、カナダの製油会社NRCとの間で長期傭船契約の仲介に成功した。さらに翌年、メジャーの一つであるBPとNRCの間で原油供給に関する代理店契約を結んだ。

しかし、1973年秋のオイルショックで原油価格が値上がりし、NRCの製品販売が低迷して経営不振に陥る。安宅アメリカは契約に基づき1975年末まで総額約5億ドルの原油をNRCに供給したが、原油代金の大部分が不良債権化した。これが原因で安宅アメリカはおろか、安宅本体の経営危機にまで

発展する。

1975年末から安宅の主取引銀行であった住友銀行を中心に再建策が検討されたが、結局、1977年、伊藤忠商事が安宅産業を吸収合併することで事態を収拾した。

IJPC問題

1973年、中東最大の石油化学コンビナートの建設を目指して、イラン国営石油化学事情通になるための商社の歴史会社(NPC)と三井グループから成る日本側の事業会社・イラン化学開発(ICDC)が折半出資でイラン・ジャパン石油化学(IJPC)を設立、1976年からIJPC事業として着工する。

しかし、プラント完成が間近に迫った1979年、第二次オイルショックを誘発するイラン革命が起きて工事が中断され、翌1980年のイラン・イラク戦争勃発で操業不能に陥った。その後、この戦争は1988年に終結したが、三井グループは施設の被爆の程度から事業の継続が困難と判断し、1989年にイラン側と事業の解消に合意した。

日本・イラン双方で計500億円を投じたこの事業には、貿易保険がかけられていたため日本政府から海外投資保険金の支払いを受けたが、結果として三井物産は多額の損失を被ることとなり、カントリー・リスクに対する意識が高まった。

    管理人のお薦めWEBインフォメーション

  • 丈夫で長持ちで美しい素材感を持つプラスチックダンボールを探しているなら、様々な用途に合わせて豊富なカラーバリエーションが用意されているので、プレゼントや装飾用としても使えますので梱包材以外の使用方法としてお考えの方にも最適です。

Copyright(C) 事情通になるための商社の歴史 All Rights Reserved.