三井財閥の成長の原動力となった「中途採用」者

三井財閥の成長の原動力となった「中途採用」者

幕末、財政難に陥った徳川幕府より三井家に260万両の御用金の要請が、来た。この三井始まって以来の危機を乗り越えることができたのは、三井子飼いの番頭などではなく、銭売り利八こと、三野村利左右衛門を抜擢したことによる。

幕府勘定奉行小栗上野介と関係が深かった利八は、両替商として三井の番頭の家を出入りしていた関係で、巨額な御用金の免除の交渉役に登用され見事難局を乗り切った。

利八改め三野村利左右衛門は、明治になっても度重なる苦難を乗り切り、有力政治家(井上馨ら)との太いパイプを使って巧みに経営の舵取りを行ない、三井の進路を切り開いた。

明治半ばになると、三井は大企業病に蝕まれた。それに対処するべく大改革の旗振り役に抜擢されたのは、慶鷹義塾出身で福沢諭吉の甥に当たる中上川彦次郎である。

中上川は不良貸付金の回収などの大リストラを断行すると同時に、有能な人材を慶臆義塾から採用し、彼らが三井財閥の成長の原動力となった。三野村利左右衛門、中上川彦次郎はいずれも外部からの中途採用である。

企業にとって、危急存亡の危機に対処する最良の方策は、外部の血を入れることであることを示した好例と言えよう。

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